竪穴式住居

竪穴式住居は、主に縄文時代の住居形式です。地面を数十cmほど掘り下げた直径5mから7m前後の穴の中に6本程度の柱を立てて屋根をかけた住居です。
現在は「跡」しか残っていないので、正確な屋根はわからないですが、「家屋文鏡」や銅鐸、家形埴輪を参考に想像で復元しています。一般的に屋根は茅葺きと考えられていますが、青森県の三内丸山遺跡など茅が育たない地域もあるので、樹木や土で屋根を葺いていた地域もあると考えられています。
構造もよく分かっていないのですが、江戸時代の製鉄技術書『鉄山秘書』の中に製鉄のための仮設の小屋の図があります。これが竪穴式住居とよく似ているので、これを参考に登呂遺跡の住居は復元されています。
初期の頃は、住居の中央に炉がありましたが、時代が下るにつれて端の方に寄せられてきました。
弥生時代になると大型の住居もみられますが、比率としては少数なので部族長や特別な用途に限ったものだと思われます。

なぜ、地面を掘ったのか?

なぜ、わざわざ「竪穴」を掘ったのかという理由は、はっきりしませんが北海道では2.5mも掘った事例があるので、外気温が影響しないように、年間を通じて快適な住居空間を得るためではないかと考えられています。

いつまで竪穴式住居はあったのか

竪穴式住居は古墳時代ぐらいまでの住居のイメージかもしれませんが、千葉県の栗谷遺跡からは平安時代ぐらいの住居あとが見つかっています。東北地方では室町時代まで使われていたようです。
江戸時代の島原の乱で使われた小屋の跡が竪穴式住居と似ているようですが、個人的な意見ですが仮設のような気がするので「住居」とは違うと思います。

参考資料