平地建物

平地建物は、乱暴に言うと高くなっていない高床建物です。
神奈川県の田名向原遺跡という約2万年前の旧石器時代末期の遺跡から見つかっており、一番古い竪穴住居と同等の年代です。作りやすさを考えても竪穴住居よりも古い形式の住居かもしれません。

古墳時代に榛名山の噴火で集落がまるごと埋もれた、群馬の黒井峯遺跡という遺跡があります。ここからは、竪穴住居や高床建物よりもたくさんの平地建物がみつかっているので、古墳時代の標準的な建物だったかもしれません。

 

なぜ、知名度は低いのでしょうか?

それは、あまり見つかっていないからです。
平地建物の遺構は、基本的に柱の穴しかありません。たまに少しだけ高く盛土をしたり、壁の溝があったりしますが、とても見つけにくいのです。
しかも、柱の穴だけでは、高床建物と区別ができません。現在は、穴が大きく深ければ高床建物、小さく浅ければ平地建物として区別しているようです。仮に、柱の穴が大きなく巨大な平地建物があったとしてもこれでは気づけません。

建物の全体像は、奈良県の佐味田宝塚古墳から見つかった家屋文鏡や家型埴輪からなんとなく想像ができます。
屋根は、高床建物と同じような切妻屋根か入母屋屋根だったようです。

西都原古墳からは、大きな平地建物の埴輪が見つかったのですが、5部屋がくっついた平地住居が実在していたのか、想像で作ったのか不明です。

このように、特別な特徴もなく、出土数が少ないため専門家でもよくわからない事が多いので、歴史の教科書から抹殺されているのでしょう。

 

参考資料

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