デ・ステイル 概要

作成:2021年1月
「デ・ステイル」とは、ドゥースブルフを中心に活動したグループの芸術運動です。1917年に雑誌『デ・ステイル』を刊行し、1931年にドゥースブルフが亡くなるまでが活動期間でした。
グループのメンバーに、画家のモンドリアン、家具デザイナー・建築家のリートフェルトがいました。
デ・ステイルは、水平・垂直、アシンメトリー、三原色という単純な原則を掲げていました。この理念を絵画と建築で表現していました。
ただし、デ・ステイルは一枚岩ではなく、ドゥースブルフとモンドリアンは対立をしていました。主宰者のドゥースブルフは、絵画だけでなく建築にも表現の幅を広げて、後に水平・垂直に加えて斜線も取り入れています。一方で、モンドリアンは絵画こそが造形的であると主張して、絵画に固執していました。その結果、モンドリアンは1925年にグループを離れています。

デ・ステイルの建築


デ・ステイルの建築はフランク・ロイド・ライトの影響を受けています。デ・ステイルの初期メンバーの一人で建築家のファント・ホフは、ライトの助手をしていました。「ヴィラ・ヘニー」はライトの影響を強く受けていることがわかる。なお、ライトは1893年のシカゴ万博の平等院鳳凰堂をモデルにした「鳳凰殿」に影響を受けたことは有名です。つまり、デ・ステイルの建築は、間接的に日本建築(水平を強調した神社建築)の影響があったといってもいいでしょう。

リートフェルトの参加


リートフェルトは、独自の手法で水平材と垂直材を接合させて家具を制作していました。そして、ホフの「ヴィラ・ヘニー」にリートフェルトがデザインしたライト風の家具を置いたことをきっかけにデ・ステイルへ参加することになりました。1919年の「デ・ステイル」に掲載されて正式に加入となりました。
リートフェルトの作品で有名なのは「レッドアンドブルーチェア」と「シュレーダー邸」です。
シュレーダー邸は、デ・ステイルの完成形といわれています。理由は、絵画と建築が融合したものだからです。つまり、色と形態を同等に扱って構成されているからです。
立面を構成する部材は、色の塗り分けで可視化されています。後に発表された色彩計画の図面を見ると明らかです。
シュレーダー邸に影響されて様々な、デ・ステイルスタイルの建築が計画されましたが、ほとんど実現はされませんでした。実現していれば、今日のシュレーダー邸の評価も変わったかもしれません。



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